神である主が義と賛美とを全ての国の前に芽生えさせる ー イザヤ61:11

愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 第三ヨハネ 二節

突然の苦難

2013年09月08日 09:00

ヨブ42:1~6  ヨブはに答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。       

1. 苦難・試練

私たちには誰であっても人生を生きていく中で、苦難や試練がやってくる時があります。苦難や試練は大きく二つの種類に分かれると思います。ひとつは私たちが罪を犯していたり、神様の御心通りに生きていない時に与えられる苦難や試練であります。ヨナが神様からニネベの町に行って人々に悔い改めをするように命令を受けたのにもかかわらず、神様の命令に逆らって全く反対のタルシシュの町へ逃れようとした時に、乗り込んだ船に暴風と荒波を引き起こし、ヨナに試練を与えました。また、ダビデは姦淫と殺人の罪を犯し、悔い改めもしませんでした。それで預言者ナタンが彼に自分の犯した罪を自覚させ彼はその時から切に悔い改め始めましたが、環境を通して苦難や試練を受けなければならなくなってしまいました。因果応報という仏教で用いられる言葉がありますが、聖書にもそのような人の行いに対してそれぞれ報いられるという教えがあります。思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。ガラ6:7,8ですから私たちは大きな苦難や試練を受けないために、いつも御霊のために蒔き、御霊から永遠のいのちを刈り取り、神様の御言葉に従い、神様の国と義とをまず第一に求めて、神様に栄光をお返しする人生を歩んでいかなければならないのです。

苦難や試練のもうひとつの種類は、その人の信仰が試されて、後に豊かに祝福が注がれるようになる苦難や試練です。しかしこのような苦難や試練は、時として順調に生活を送っている中に突然やってきたり、本人にその苦難や試練の原因がはっきりわからなかったりします。それで人を恨んだり、環境を呪ったり、不信仰に陥ってしまうことがあります。今日の御言葉に出てくるヨブの受けた苦難や試練はその種類に入るものであります。

 

2. ヨブの苦難

旧約聖書に出てくるヨブという人物は、潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている人でありました七人息子三人、羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常くのしもべをっていて、東方んでいる人々一番大富豪でありました彼は、家族のみんなと共に祝宴を開いた後は、彼らを呼び寄せ聖別をし、翌朝早くから家族のひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげているほど神を恐れる人物でしたそんな潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていたヨブのことを褒め称えていた主に対して、サタンが嫉妬して主に言いました。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」(ヨブ1:9~11) そんなサタンの言葉を聞いた主は、サタンに対してヨブの体に手を伸ばすことだけはしないという条件で、すべての持ち物をサタンの手に任せることにしました。それで、ヨブは飼っていたすべての家畜たちが異邦人によって奪われていまい、また大風により家が倒され、息子娘達をすべて失ってしまいました。すべての財産と子供たちを一度に失ってしまったヨブでしたが、彼は罪を犯さず、神様に愚痴を一つもこぼしたりしませんでした。このように大きな苦難を受けたにもかかわらずに、罪を犯さずに潔白で正しく、神を恐れ悪から遠ざかっているヨブを主がもう一度褒めたたえました。それで、サタンは更に悪い企みを企てて、「今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」(ヨブ2:5) と主に頼み込みました。それで、命にはれないことを条件としてヨブをサタンのせたのでしたサタンはからってヨブの全身悪性腫物ちましたヨブの妻は彼に対して、「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」(ヨブ2:9)と言って、彼は妻からもののしられてしまいました。それでもヨブは「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」(ヨブ2:10)と妻に言って、罪を犯すようなことを一切口に出したりしなかったのでしたそんな最高に辛い苦難を受けてしまっているヨブに、三人の友人たちが彼のところに彼を慰めるために互いに打ち合わせてやって来たのでした。初め彼らは、ヨブの受けている苦難に同情して声を上げて泣き、七日七夜の間気の毒で話しかけることもできませんでしたその後、ヨブは口を開いて、自分の生まれた日を呪うようになりました。また、三人の友人たちもヨブがこのような大変つらい苦難を受けるようになったのも、ヨブの罪の所為だと批判し始めました。それでヨブは、自分がいつも潔白であり良心も生涯自分を責めはしないと、自分の正しさを頑として主張し続けました。長い間、ヨブと三人の友人との間で問答の論戦が続きましたが、ヨブが自分は正しいという主張を決して曲げなかったため、友人たちはヨブに話しかけるのを諦めました。それで、このように自分自身を神様よりも義としているヨブと、ヨブに言い返すことができなくなった友人たちを見るに見かねて、怒りを燃やしたエリフが、ヨブに対して全知全能であり、すべてものを主管なさる主にまさるものは何もないことを証し始めました。そして、主自らも直接ヨブに御自分がすべての創造主であり、全能の神でおられることを伝えられたのでした。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。(ヨブ38:3,4) あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。あなたは十二宮をその時々にしたがって引き出すことができるか。牡牛座をその子の星とともに導くことができるか。あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。(ヨブ38:31~33) あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしに罪を定めるのか。あなたには神のような腕があるのか。神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。(ヨブ40:8,9) 主による、御自身が全知全能の主管者でおられるという様々な証によって悟りを得たヨブは、やっと悔い改め始めるようになりました。人間は神様には及びもつかない存在であり、自分の運命もすべて神様によって主管され導かれていることをついに悟り、悔い改め始めたのでした。 ヨブはに答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。(ヨブ42:1~6) ついにヨブの神様に対する絶対信頼の信仰が回復し、神様にすべてをまかせ、苦難や試練も神様の御手によるものであることを悟った時、主はヨブのことを間違って批判していたヨブの三人の友人に対して、ヨブのために雄牛と雄羊の全焼のいけにえを七頭ずつ捧げ彼と和解するように求めました。彼らから動物の生けにえを受けたヨブは三人の友人のために祈りました。すると、主はヨブの今までの繁栄を元通りにされ、所有物はすべて二倍に増やされたのでしたそして、自分の子とその子たちを四代までも見て、長寿を全うしたのでした。

 神様から信仰を試される試練、苦難は、このヨブのように、それを忍耐して耐え抜いた人たちにはものすごく大きな祝福へと変わるのです。見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。(ヤコブ5:11) 試練苦難する忍耐して、私たちはけたところのない完全なものになるのです。そのために私たちに苦難、試練が与えられるのです。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。ヤコブ1:2~4神様は、私たちの信仰を試すために試練をお与えになります。そして、その試練に打ち勝ち、信仰を保つために必要なものは、忍耐なのです。忍耐完全くとき、私たちはけたところがくない完全になるのです。

 

3. イエス・キリストの苦難

 イエス様は十字架の刑に処せられるという大変むごい苦難を受けられました。十字架の刑は瞬間に死んでしまうのではなく、死に至るまで数時間かかりますので大変な苦痛を味わう生き地獄のような痛みを感じながら死んでいく本当に辛い処刑です。そんな残酷な処刑をイエス様は私たち人類を永遠に救うために受けて下さり、そのとても辛い苦痛に耐えて亡くなられました。イエス様は三日目に死よりよみがえられ、四十日間弟子たちの間にお現れになり、天国へと挙げられました。イエス様は、十字架の苦難に忍耐され、その忍耐を完全に働かされました。そして、死から復活なさり、永遠の天国にいらっしゃいます。イエス様を信じる全ての人は、罪を悔い改める時、その罪がイエス様の十字架の上で流された血潮で全て洗い清められ、永遠のいのちが与えられ、天国でイエス様と共に暮らすことができるのです。イエス様の苦難に対する完全な忍耐が死からの復活の勝利を呼び、信じる私たちに永遠の命を与えるようになったのであります。ハレルヤ!私たちもイエス様の十字架の忍耐を学んで、私たちにやってくる苦難、試練に完全に忍耐を働かせイエス様のように勝利しなければなりません。ヨブも苦難を受けた時、次第に神様を呪い、神様を批難し始めましたが、悔い改めて全てを主にゆだねて信仰が回復し、かつての二倍の祝福をうけるようになりました。私たちが苦難や試練を受けたときに、必要なことは、完全なる忍耐、そして神様に全てをゆだねることであります。全知全能であり、天地万物を創造されすべてを主管なさる神様が私たちを導き、苦難、試練を耐え忍んだ人すべてを豊かに祝福し、たましいが恵まれ全てに恵まれ健康である祝福で満ち溢れさせてくださるのであります。 

 私は始めて韓国に宣教師で派遣された時、韓国語は全然できませんでした。延世大学の語学堂で韓国語を学び始めましたが、教会の仕事をしながら韓国語を学ぶのが大変なことでした。なぜなら、教会では英語礼拝を担当していたので、英語で説教を語り、英語で聖徒さんと会話をしなければならないため、韓国語を話す時間もあまりなく、なかなか韓国語の語学力が上がりませんでした。ですから、三ヶ月ごとにある進級試験に二度も落ちてしまったのです。そしてその時、三度落ちたらもう進級できず落第となってしまうということを始めて知ってショックを受けました。とうとう切羽詰った状態にまで追い込まれてしまいました。大変がっかりしました。『だめだな~』と落ち込みました。勉強することだけが目的で留学している人達は学校以外でも勉強をする時間があり、上達も早くすいすい進級していきました。しかし私は必ず卒業できると信じました。そして、金曜徹夜礼拝の時には声が涸れるくらい熱心に信仰をもって祈ったのです。忍耐を持って、勉強も続け、教会の仕事をしながら宿題もやり続けました。そして、進級試験で落ちたために勉強の期間が延長したことによって、発行されるまで期間のかかる宣教師のビザも発行され受けるようになり、ついに進級試験に合格し、最後には卒業できるようになりました。その時私はすべてのことを働かせて益としてくださる神様を確信できました。そして韓国で七年間滞在できるようになり、宣教活動を行いながら、大学院で学位を二つ取って帰国できるようになったのでした。ハレルヤ! 

 このように、私たちに試練や苦難が与えられる理由は、あとで忍耐をもって耐え忍んだ人たちに、さらに豊かな祝福で満たしてくださるためであるのです。ですから、試練や苦難を受けた時、弱気になってはいけません。倒れてはいけません。信仰を固く持ち続け、祈りながら忍耐し、すべての試練、苦難に打ち勝たなければならないのです。試練、苦難に忍耐し勝利できた時、ものすごく素晴らしい祝福が私たちに準備されているのであります!なぜならイエス・キリストが私たちの全ての罪、全ての苦難、全ての試練、全ての病、全ての悩み、全ての問題のために十字架に架かって下さり私たちの重荷を担ってくださったからです。そして復活して死に勝利されたイエス様を信じる私たちもイエス様と同じようにすべてに勝利するのです。ハレルヤ!!私たちが忍耐をもって信仰を失わず持ち続けるなら、私たちはこの世でも勝利し、そして永遠の命が与えられるのであります!ハレルヤ!ですから、どんな苦難や試練にであったとしても、驚かないで、すべてを主管なさる神様を信頼して、神様に委ね、切に祈り、信仰生活を保ち神の国と義をまず第一に求めてイエス様と共に前進していきましょう。そして必ず主が、今は行き止まりのように見えた道も大きく切り開いてくださり、みなさんの受けておられる大きな苦難や試練を恵み豊かな大きな祝福へと変えて天国へ行く時までみなさんを導いてくださることを信じて、主イエス・キリストの御名によって祝福しお祈りいたします。アーメン!